スリランカ人の特徴

スリランカ人を受け入れるメリット

 
真面目で勤勉
スリランカは高等教育までを無償で受けることができるため、一般的な教育を受けている若者がほとんどです。
発展途上国では珍しく、勉強の仕方が身に付いているので、語学や仕事の覚えが早いと言われています。
英語も日常的に使用されるため、英語を話せる人が多いのも特徴です。
また、スリランカでは義務教育で世界初となる"日本語の授業が導入"されています。
 
仏教徒が多く穏やかな性格の平和主義者が多い
スリランカ人の70%が仏教徒で、仏陀を深く信仰しています。
仏陀の言葉を心に留めており、平和主義者が多いです。
特に、礼儀や価値観などの考え方が日本人と似ています。
おだやかな性格で、家族や仲間を大事にしており、古き良き日本のように助け合う心があります。
 
日本語の習得が早く、コミュニケーションがとりやすい
スリランカ民主社会主義共和国(通称:スリランカ)の公用語シンハラ語は文法が日本語と似ており、シンハラ語には日本語の発音がほとんど入っています。
他国の外国人材よりも日本語を習得するスピードが早いといえます。
そのため、コミュニケーションが円滑に行いやすいです。
 
年長者や目上の方を敬う習慣がある
スリランカでは、現在も男尊女卑の傾向が残っていたりと、上下関係を大切にしています。
日本同様、職場でも上下関係を大事にし、目上の方を敬います。
人懐っこい性格の方が多いので、先輩から可愛がられる人が多いのも特徴です。
 
親日国なため、日本を好きな方が多い
スリランカでは、日本のドラマ『おしん』が繰り返し再放送されています。
『おしん』を見て、自分と重ね合わせ日本に憧れる方が多いそうです。
高校の選択科目で日本語を専攻する方も多く、2022年8月からはスリランカの義務教育で日本語が加わり小学生から日本語の勉強をしています。
長年の友交関係から、学校で日本の文化、柔道や空手を教わってる人が多く、スリランカ人は日本への親近感を抱いています。
 

スリランカ人を採用する際の注意点

休憩上手なスリランカ人
勤勉で真面目に働いてくれる反面、息の抜き方がとても上手です。
自分の作業がひと段落すると、携帯を見ていたり、おしゃべりが始まってしまうこともしばしばあります。
 
日本と比べスピードがゆったり
ゆったりな時間が流れているスリランカ。
穏やかな性格をした人が多く、何事もスピードがゆったりとしている傾向があるため、仕事の内容や、役割分担を明確に伝えるのが望ましいです。
 

そもそもスリランカ民主社会主義共和国(通称:スリランカ)とは?

スリランカとは、シンハラ語で『聖なる光輝く島』を意味し、インド洋の南東に位置する島国です。
日本からは飛行機で約10時間程で、涙の形をしている事から『インドの涙』という表現をされています。
国土は北海道の8割程の大きさですが、その中に世界遺産が8つもあり、中でも『天空の城シーギリヤロック』は有名な観光名所です。

また、スリランカの主な産業は農業(紅茶、ココナッツ、米作、サトウキビ他)で、ゴムや繊維業、アーユルヴェーダ、スパイスも有名です。

日本からスリランカへの主な輸出は、自動車、一般機器、電気機器、プラスチック。
スリランカから日本への主な輸入は、紅茶、衣類、宝石、魚介類(まぐろ、えび等)となっています。

1867年 ジェームス・テーラー氏が紅茶栽培を始め、スリランカ初の紅茶工場を作りました。
後の1948年2月4日、イギリス連邦内の植民地から自治国『セイロン』として独立。
スリランカ産の紅茶の総称をセイロンティーと言い、日本で親しまれている紅茶の60%がセイロンティーです。

1972年に国号を現在の『スリランカ』に改称しました。
 

日本を救ってくれたジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏

第二次世界大戦中に日本はスリランカ東部の町を爆撃していました。

しかし、終戦後の1951年サンフランシスコ講和会議にて、後に大統領になるジャヤワルダナ氏が、『戦争に負けた日本にもう一度チャンスを与えるべき』と仏陀の言葉を引用し『憎悪は、憎悪によって止む事はなく、愛によってのみ止む』と演説。

対日賠償として、戦勝国であるアメリカ、イギリス、ロシア、中国で日本領土を4分割するという統治場所まで決まっていたのですが、ジャヤワルダナ氏の賠償請求を放棄するスピーチが戦勝国の心に響き、日本は救われたのです。

その後も閣僚・首相・大統領として何度も訪日し、精力的に日本とスリランカの交流を深めてくれました。

また、ジャヤワルダナ大統領は自身の死後、『片方の眼をスリランカ人に、もう片方の眼を日本人に提供してほしい』と遺言を残していた事から、実際にジャヤワルダナ氏の片方の角膜が日本人に提供されたそうです。

ジャヤワルダナ氏の強い日本愛によって、日本とスリランカは絆が出来ました。
自身の希望でスリランカ国内にジャヤワルダナ氏のお墓はありませんが、日本国内の東京都、神奈川県、長野県、愛知県に石碑、銅像などが存在しています。
 

日本とスリランカの交友関係

第二次世界大戦の終戦後、日本の国際社会復帰の道筋を作ってくれたのはスリランカでした。
また、世界で一番早く、正式に外交を結んだのもスリランカです。
現在も、日本とスリランカの交友関係は続いています。

1952年2月に、スリランカの首都であるコロンボに日本大使館が設置。
1953年5月に日本の首都である東京都にスリランカ大使館が設置されています。
2022年には、両国の外交関係樹立から70周年を迎えました。

2011年に発生した東日本大震災の際には、スリランカ政府から8000万円の義援金と紅茶のティーバッグ300万個が寄贈されています。

日本もスリランカへ沢山の援助を行っており、2011年11月に日本の支援で建設されたスリランカ初の高速道路が開通されました。
また、スリランカの国会議事堂など、日本が建設した建物がスリランカの紙幣で使われています。

長年に渡って両国間での援助が続いており、日経企業の進出や、日本の経済成長に繋がっています。
 

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