スリランカ人の特長

そもそもスリランカ民主社会主義共和国
(通称:スリランカ)とは?
スリランカはシンハラ語で『聖なる光輝く島』を意味し、インド洋の南東に位置する島国です。美しい自然と長い歴史を持ち、紅茶や観光地でも知られ、多様な文化が共存しています。
人口は約2,200万人で、公用語はシンハラ語とタミル語です。学校教育では英語にも触れる機会が多く、語学学習への意欲が高い国として知られています。

日本は主に、自動車、一般機器、電気機器、プラスチックをスリランカに輸出しており、スリランカからは、紅茶、衣類、宝石、魚介類(まぐろ、えび等)を日本に輸入しています。
スリランカの紅茶の歴史は、1867年 ジェームス・テーラー氏が紅茶栽培を始め、スリランカ初の紅茶工場を作りました。

スリランカ産の紅茶の総称をセイロンティーと言い、世界中でセイロンティーは人気になり、今現在も日本で親しまれている紅茶の60%はセイロンティーです。
その後の1948年2月4日、当時イギリス連邦内の植民地であったスリランカは自治国『セイロン』として独立し、1972年にシンハラ語で『光り輝く島』を意味する『スリランカ』に国号を改称しました。
スリランカ人材の特長

01
日本人講師が会話練習を行い、実際の職場で必要な受け答えや表現を身につけます。

02
スリランカ人の70%が仏教徒で、仏陀を深く信仰しており、思いやりや協調性を大切にする価値観が社会に根付いています。

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シンハラ語は日本語と発音や文法が似ているため、日本語の習得が早く、コミュニケーションも円滑に行いやすい特徴があります。

04
スリランカには年長者や目上の方を敬う文化があり、礼儀や上下関係を重んじる点で日本文化との共通点が多くあります。

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スリランカでは日本のドラマ「おしん」が長年親しまれ、その努力や生き方に共感し、日本で働くことに憧れを持つ人も多くいます。

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スリランカ人は真面目で責任感が強く、協調性にも優れています。学習意欲が高く、日本語や専門知識の習得にも積極的な人材です。
日本を救ってくれたジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏
第二次世界大戦中に日本はスリランカ東部の町を爆撃していました。しかし、終戦後の1951年サンフランシスコ講和会議にて、後に大統領になるジャヤワルダナ氏が、『戦争に負けた日本にもう一度チャンスを与えるべき』と仏陀の言葉を引用し『憎悪は、憎悪によって止む事はなく、愛によってのみ止む』と演説。
対日賠償として、戦勝国であるアメリカ、イギリス、ロシア、中国で日本領土を4分割するという統治場所まで決まっていたのですが、ジャヤワルダナ氏の賠償請求を放棄するスピーチが戦勝国の心に響き、日本は救われたのです。
その後も閣僚・首相・大統領として何度も訪日し、精力的に日本とスリランカの交流を深めてくれました。

また、ジャヤワルダナ大統領は自身の死後、『片方の眼をスリランカ人に、もう片方の眼を日本人に提供してほしい』と遺言を残していた事から、実際にジャヤワルダナ氏の片方の角膜が日本人に提供されたそうです。
ジャヤワルダナ氏の強い日本愛によって、日本とスリランカは絆が出来ました。自身の希望でスリランカ国内にジャヤワルダナ氏のお墓はありませんが、日本国内の東京都、神奈川県、長野県、愛知県に石碑、銅像などが存在しています。
日本とスリランカの交友関係
第二次世界大戦の終戦後、日本の国際社会復帰の道筋を作ってくれたのはスリランカでした。また、世界で一番早く、正式に外交を結んだのもスリランカです。現在も日本とスリランカの交友関係は続いています。
1952年2月に、スリランカの首都であるコロンボに日本大使館が設置されました。1953年5月に日本の首都である東京都にスリランカ大使館が設置されています。2022年には、両国の外交関係樹立から70周年を迎えました。
2011年に発生した東日本大震災の際には、スリランカ政府から8000万円の義援金と紅茶のティーバッグ300万個が寄贈されています。
日本もスリランカへ沢山の援助を行っており、2011年11月に日本の支援で建設されたスリランカ初の高速道路が開通しました。

また、スリランカの国会議事堂など、日本が建設した建物がスリランカの紙幣で使われています。長年に渡って両国間での援助が続いており、日系企業の進出や、日本の経済成長に繋がっています。